ラジオ局の男が半年間、育休を取ってみた

ラジオ局・番組制作部勤務の男(33)が2019年4月から半年間の育休を取っています。その感想など。

閉店する馴染みの駄菓子屋「こどもや」にどうしても我が子を連れて行きたくなった話

茨城県東茨城郡茨城町で育った者にとって、衝撃的なニュースが飛び込んできた。

 

こどもや、8月末で閉店。

ibarakinews.jp

 

こどもや(通称・ガキや)は、いわゆる昔ながらの駄菓子屋なのだが、駄菓子以外にもプラモデルやおもちゃなどがたくさん売られていて、茨城町の子供達にとってはなくてはならない存在だった。

そして、ガキやの魅力はこれだけではない。店のレジ横には駄菓子などを保管している物置に通じる細い道があるのだが、実は一般のお客もそこに入ることができるのである。その道をくぐり抜けると、物置の一角を借りる形でアーケードビデオゲーム機が10台ぐらい置いてある「ミニゲーセン」があったのだ。

いま思うと、そのミニゲーセンは薄暗く、大人は屈まないと入れないぐらいの天井の高さだったため、子供にはたまらない「秘密基地感」に溢れていたのだろう。その雰囲気を目当てに、ガキやは茨城町の小・中学生の溜まり場となっていた。

 

私の家はガキやから自転車で5分もかからない所にあったため、小学校の頃は毎日のように通っていた。それこそ小学校4年〜6年生までの夏休みなどは朝から晩まで(昼食は60円のブタメンで済ませる)友だちとミニゲーセンに溜まっていたのだった。大人が踏み込めない「秘密基地」に心酔していたのだ。

また、漫画「爆走兄弟レッツ&ゴー!!」の登場で訪れた第二次ミニ四駆ブームの際には、ガキやは店の庭にミニ四駆のコースを用意してくれた。そこで日々、ミニ四駆のメンテナンスに勤しむのもガキやの楽しみのひとつだった(いま思い返しても、ミニ四駆のパーツ「ボールベアリング」600円は高すぎると思う。まぁ結局、ガキやで買っていたのだが)。

 

小学校が終わると、我々の合言葉は「ガキやに集合な!」。たまにではあるが、ガキやに集合したあとに別の駄菓子屋に向かうという明らかに矛盾した行動をすることも。ガキやはただの駄菓子屋ではなく、我々のハブ空港だったのだ。

 

そんな思い出の場所が閉店。

 

思い返すと、私もこの数年、いや、10年以上顔を出していないかもしれない。しかし、この閉店のニュースを知ったとき、居ても立ってもいられない衝動に駆られた。

最後にガキやを見納めたい。ガキやのおばちゃんに御礼を伝えたい。嫁や子どもたちに私を育ててくれたガキやを見てほしい・・・そんな思いが私の中にフツフツと湧いてきたのだ。

 

私が住んでいる流山からガキやまでは車で片道1時間半。高速代もかかる。予想はしていたが、嫁にこの想いをぶつけると大反対される。何故、イチ駄菓子屋閉店のために時間と金を使うのだ、と。ごもっともだ。

しかし、ガキやは私にとってただの駄菓子屋ではないのだ。私の幼少期そのものなのだ。

なんとか妻を説得し、承諾を得る。すまん、嫁。だが、ガキやは期待を裏切らないぞ。

 

車を走らせること1時間半。ついにガキやに到着。

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記事にある通り、新たな商品はもう仕入れていないようで、店の外にあったオモチャなどの展示はなく、どこか寂しい雰囲気。

そして、この張り紙。

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そうか、ガキやは本当に無くなってしまうのか。

 

店に入る。並んでいる商品は確かに少ない。が、店の外では感じられなかった20年前と変わらないガキやの「雰囲気」と「臭い」に包まれる。ダダ漏れるガキや感。一気に思い出が蘇る。

 

そして、ガキやのおばちゃんと対面。変わっていない。いや、失礼承知で申し上げると、月日が経った分、歳は重ねたように見える。しかし、私の中での「ガキやのおばちゃん像」はそのまま。なんとも言えない嬉しさに包まれる。

 

気持ちを抑えきれず「あの、20年ぐらい前によく通っていた小林なんですけど・・・」と自己紹介。

すると「ああ、小林くんか!」とおばちゃん。良かった、覚えていてくれていた。家族の前でメンツを保てた。

 

その後、家族そっちのけでおばちゃんと思い出話に浸る。

 

私がよく飲んでいた瓶のドクターペッパーはとうの昔に製造中止になった話。

 

週刊少年ジャンプ」の最新号を土曜日に売り出せるカラクリについて。

 

ミニ四駆は「ドル箱」だったという商売裏事情。

 

ガキやの名物「シャーピット」の正体。

(実はおばちゃんもよく分からないまま売っていたという驚愕の事実!)

 

などなど。

 

話が一段落したところで、改めて店内を見渡す。駄菓子はすでに売り切れ。残っているものは文房具などだった。

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その文房具たちは特価にて販売。
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懐かしのオモチャも特価に。箱に入った大物のオモチャもいくつか残っていた。
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プラモデルなども少し残っていた。私たちが通っていた頃から店奥に置いてあった日本丸のプラモデル。なんとここに来て成約済みの張り紙が。しかも破格の値段で落札。何故だ。

 

続いて、レジ横のミニゲーセンへ。このミニゲーセンも10年ぐらい前に閉めたとのことだが、どうしてもあの雰囲気を味わいたく、無理を言って通してもらう。

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ここに入ったことがある人にはお馴染みの頭ぶつけ防止用のクッション。子供を抱っこしながらだったのでうまく撮れなかったが、伝わるだろうか。当時のまま残っている。
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ミニゲーセン。アーケード機は撤去され、本来の役割である物置になっていた。しかし、我々ガキやフリークが何度も踏みしめていた足元の石道は当時のまま。たまにこの石道の間に50円を落としていたのが懐かしい。
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2台のテーブル型のビデオゲームは未だ健在。場所は駄菓子売り場のほうに移動されていたが、まだ動くというから凄い。懐かしの「吉本新喜劇麻雀」もあった。

ガキや最後の買い物で購入したものはこちら。

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ミッキーのビーチボールはプレミアが付いていそうな雰囲気。いい買い物をした。

 

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ガキやのおばちゃんとの一枚。この方に私の幼少期は支えられたのだ。

ガキやが無くなる前に家族とともに訪れることができて良かった。そして、おばちゃんに御礼を伝えられて本当に良かった。ありがとう、ガキや。さようなら、ガキや。

 

帰路。

長女・次女にとって「子どものときに通った懐かしの店」はいったい何になるのだろう。などと、なにかもっともらしいことを考えながら車を運転する。そんな私に助手席から嫁が一言。「昔ながらの駄菓子屋だったね」。おいおい、他に言うことはないのか。